遊技場企業の会議のあり方 Vol.6|パチンコ・ホール経営コンサルティング

パチンコ コンサル オールウィン パチンコ・ホール経営コンサルティング 大山清光 パチンコビジネス再生コラム パチンコ経営のV字回復グラフ
お問い合わせ・ご相談
TEL:03-6225-5536

成功事例コンサルティング料金体系物件募集物件オーナー・投資家募集会社概要
パチンコビジネス再生
パチンコビジネス再生

遊技場企業の会議のあり方 Vol.6

大企業でも、中小零細企業でも、店舗レベルでの、今後に関しての会議はどういった位置付けであれ、あることでしょう。
また、中小零細企業にとっては、その会議の内容そのものが、会社の業績に即、反映されていくでしょうし、大企業でもかなりのウェートを占めることには変わりはないでしょう。

さて、その会議の内容です。
私は今まで数十社の営業会議的なものに参加し、今でも多くの企業様の会議の議事(司会)進行を行っていますが、大半の企業に当てはまる問題点を列記します。

・ 会議内容が、今月(または来月)どう、凌ぐか
・ 粗利であれ、営業利益であれ、キャッシュフローであれ、月単位であれ、年単位であれ、そこに並んでいる数値は『現状、厳しいからこのようになりますよ』といった、予測数値の羅列である
・ 『突っ込まれたくないから』、自分も突っ込まない
・ 理論的な否定や修正提案があっても、自説に固執し客観的になれない
・ 紙の膨大な資料を当日初めて配布され、それから目を通し、考えるので会議の時間がいたずらに長くなるか、その場の思いつき的になり、議論の内容が空疎である
・ 自社の会議は、『報告会』と言いながら、建設的な会議に変える提案や努力がない幹部
・ 業績が思わしくないと、対策ではなく、常に(もしくは大半のケースで)言い訳が出てくる
(最後に、素晴らしい文章がありますので、掲載しておきます。私のものではありませんが(爆)) …

等々、主だった由々しき問題を挙げただけですが、どう考えても上記のような会議では、会社(及び業績)の改善や改革はできそうにありませんし、参加するのもおっくうでしょう。

では、現実的にはどのような会議が理想なのでしょう。
一言でいえば、『業績向上のプレゼンテーション』的な会議でないと、当然ながら、業績は改善しないでしょう(苦笑)
その為には、最低限、以下の項目はおさえたいところです。

・ 議題を『今月(または来月)どう凌ぐか?』から、『今後の収益体制の構築』へ
・ 会議の資料は、会議3日前には参加者に送付し、参加者は資料に目を通し、意見を持った上で参加する。
・ 資料に記述してあることは、口頭では必要最小限とし、口頭での補足は資料以外のことに言及し、議論に時間を割くようにし、時間は短く内容は濃くに各人努める。
・ 数値計画は、『厳しいからこうなりますよ』的な、予測数値の羅列ではなく、『現状厳しいが、このような対策で○○%成長を必達目標とします』といったような、理論的且つ強い成長意欲のあらわれとしての数値であること
・ 絶対に言い訳を言わないことをルールとし、解決できない問題は、社内プロジェクトを作り、言い訳ではなく『対策』で、問題に対処する。
・ 意味が分からないことや、疑問に思うことは、立場に関係なく、積極的に質問及び意見する(ただし、大勢に影響が無い枝葉末節は除く)

業績改善の為の会議とするならば、最低限、上記の項目はおさえる必要があるでしょう。

このような会議のあり方に変えて、
・ 半年後に月額経費が2,000万円削減できた企業(年商50億円程度)
・ 3ヶ月目で、稼動3倍、税引前利益で月額1,500万円改善できた店舗(300台程度)
・ グランドオープンから4年間赤字続きだった店舗が、稼動が倍になり、月額数百万円の黒字になった(300台程度でキャッシュフローベース)
・ 年間5億円程度の人件費が削減できた企業(年商1,000億円程度)

などなど、上記はほんの一部で実績を挙げれば枚挙にいとまがありませんが、ともかく会議を冒頭の問題だらけのものから、

業績向上のプレゼンの場にしただけで、間違いなくいえることは、『儲かるようになり、参加者やオーナーの笑顔』が増えることだけは、確かなようです。

会議でお悩みの企業様、お気軽に下記連絡先にお問い合わせください。
TEL:03−6225−5536/E−Mail:info@allw.jp

それでは、最後に上述した、言い訳ばかりの社員に対して、ご存知の方も多いでしょうが、有名且つ素晴らしい文章がありますので、下記に掲載させて頂きます。(1,899年にアメリカの啓蒙教育家エルバート・ハバードが作成したものですので、内容の一部が現代にそぐわないところがあります)

「ガルシアへの手紙」
キューバがらみでいえば、私の記憶の地平線に、近日点の火星のように輝く一人の人物がいる。
米西戦争が勃発したとき、反乱軍の指導者と直ちに連絡を取る必要があった。ガルシアはキューバのどこかの山塞にいる。
どこであるかは誰も知らない。郵便や電報が届くはずもなかった。
大統領は彼の協力を得なければならない。しかも早急に。どうすればいいのか!
ある人が大統領に言った。「ガルシアを見つけられる人がいるとしたら、それはローワンという男でしょう。」
ローワンが呼ばれ、ガルシアへの書簡が託された。
「ローワンという名の男」がどのようにしてその手紙を受け取り、油布の袋に入れて密封し、心臓の上にくくりつけ、4日後に夜陰に乗じて小さなポートで
キューバの海岸に上陸し、ジャングルに消え、敵国を徒歩で縦断し、ガルシアに書簡を届け、三週間後にこの島国のもう一端の海岸に現れたかを、ここで詳しく話すつもりはない。
私が強調したいのは、マッキンレー大統領がローワンにガルシアへの書簡を託したとき、ローワンはその書簡を受け取って、「彼はどこにいるのですか?」と尋ねなかったことである。
この人こそ、その姿を不滅の青銅で象り、その像を全国の大学に設置すべき人物だろう。
若者に必要なのは机上の学問でも、あれこれの指示でもなく、背骨をまっすぐに伸ばしてやることである。
そうすれば信頼に応え、迅速に行動し、精力を集中して、任務を遂行するだろう。
ガルシアに書簡を届けるだろう。ガルシア将軍はすでに世を去ったが、ガルシアはほかにもいる。
多くの人手を必要とする大事業を遂行しようとしたことのある人なら、きっと平均的な人間の無能さに愕然とした経験があるだろう。
一つのことに集中して、それを遂行する能力、あるいは意欲がない。ずさんな手助け、愚かな不注意、なげやりな無関心、それにうわの空の仕事がお定まりらしい。
騙したり、すかしたり、脅したりして、他人の手助けを強要するか、金で買うかしないかぎり、誰も成功は望めない。
読者諸氏よ、試してごらんなさい。あなたはいまオフィスにいて、六人の部下が近くにいる。
その中の誰か一人を呼んで、頼む。「百科辞典で調べて、コレッジョの生涯について簡単なメモを書いてくれないか」。
その部下は静かに「はい」と答えて、仕事に取りかかるだろうか?決してそうはしないだろう。きっと怪訝な顔をして、 次の質問を一つか二つするだろう。

どんな人ですか?
どの百科事典でしょう?
百科事典はどこにありますか?
ビスマルクのことではありませんか?
チャーリーにさせてもいいんじゃありませんか?
過去の人ですが?
お急ぎですか?
その本を持ってきますから、ご自分でお調べになりませんか?
なんでお知りになりたいのです?

あなたがその質問に答えて、その情報の求め方や、あなたがそれを求める理由を説明した後その部下は十中八、九、ほかの部下の所へ行って、ガルシアを見つける手伝いをさせるだろう。
それからあなたの所へ戻ってきて、そんな人物はいない、と言うだろう。もちろん私はこの賭には負けるかもしれないが、平均の法則に従えば、負けないはずである。
もしあなたが賢明なら、「補佐役」にコレッジョの見出しはKではなく、Cであると、わざわざ説明したりしないで、優しい笑顔を見せて「もういい」と言い、自分で調べるだろう。
この自主的に行動する能力の欠如、精神的な愚鈍さ、意志の軟弱さ、進んで快く引き受けようとしない態度のために、本物の社会主義者がなかなか現れないのである。
自分のためにさえ行動しようとしない人たちが、全員の利益のために、どれほどの努力をするだろうか?節だらけの棍棒を手にした副社長も一人は必要だろう。
土曜日の夜に「首」になるのが怖いばかりに、大人しくしている労働者が多いからある。
タイピストの求人広告を出せば、応募者十人のうち九人までが、ろくに綴りを知らないし、句読点も打てない。
しかも、そういうことを知らなくてもいいと思っている。そんな人がガルシアへの手紙を書けるだろうか?
「あの出納係ですが」と、ある大きな工場で監督が言った。
「彼がどうしたかね?」。
「会計係としては有能ですが、街へ使いにやると、いつもというわけではありませんが、途中で四軒の飲み屋に寄り、目抜き通りにたどり着いたときには、何の用で来たのか忘れていることがちょいちょいです」。
こんな人にガルシアへの書簡を託せるだろうか?私たちは近頃、「虐げられ、搾取されている労働者」や「まともな職を求めてさまよう、よるべない人々」に対する感傷的な同情を耳にする。それにはたいてい、経営者に対する厳しい言葉がつきものである。だらしない役立たずの連中に気の利いた仕事をさせようと、むなしく奮闘して年齢不相応に老け込む雇い主、彼が背を向ければさぼることしかしない「手助け」を得るために、長年、忍耐強く努力を重ねている雇い主。こうした雇い主たちに対しては言うべき言葉もない。
どの店でも工場でも、除草は常に行われている。雇い主は、事業の繁栄に役立つ能力のない「手助け」を絶えず解雇して、代わりを採用しているのである。
どんなに景気が良くても、この取捨選択は続く。ただ、不況で職が少なくなると、その選択が厳しくなって、無能で役に立たない人は、職を追われて、そのままになってしまう。適者生存の原理である。
どの雇い主も自分の利益のために、最も優れた人材、ガルシアへ書簡を届けられる人たちを残そうとするからである。
私の知っているある人は、非常に優れた資質を備えているが、自分で事業を経営する能力はない。
さらにまた、他人には全く役に立たない。
雇い主が自分に不当な圧迫を加えている、あるいは加えようとしている、という異常な猜疑心を常に抱いているからである。
彼は命令を下すことができず、受ける気にもなれない。
ガルシアへの書簡を託されたら、その返事はおそらく、「自分で届けろ!」だろう。
この男は今夜も職を探しながら街を歩いている。
風がそのすり切れたコートを通して、ひゅうひゅうと鳴っている。彼を知ってい
る人は雇おうとはしない。
常に人々の不満を煽るからである。
彼には道理が通じない。
彼に印象を与えるためには、そこの厚い九号のブーツの爪先で一蹴するしかないだろう。
これほど異常な性格の持ち主は、憐れむべきだろう。
しかし我々は、大事業の経営に努め、終業ベルが鳴っても仕事の終わらない人たちににも、一滴ぐらい憐れみの涙をこぼそうではないか。なげやりで冷淡な連中、だらしのない無能な連中、そして恩知らずの連中を統率する苦労で、早々と白髪になる人たちのためにも。
彼らの事業がなければ、この連中は皆、飢えて、住む家もないだろう。
私は言葉が過ぎただろうか?そうかもしれない。
しかし世間全体が貧民化した今、私は成功者に同情の言葉を述べたい。
この人たちは、勝ち目の乏しい闘いに挑んで、人々の努力を促し、勝利を収めながら、何も得るところがないのである。住むところと、着るものしかない。

私は弁当持ちで出社し、日々の給料分の仕事をしてきた。
同時に、人も雇っているので、両方について言えることがある。
貧困そのものには、何の利点もない。
襤褸は褒めるべきものではない。
そしてすべての貧しい人たちが高潔とは限らぬように、すべての雇い主が強欲で高圧的であるとは限らない。
私が心を惹かれるのは、「上司」がいるときにはもちろん、いないときにも勤めを果たす人である。そして、 ガルシアへの手紙を渡されたら、黙ってその信書を受け取り、愚かな質問をせず、すぐさま下水に捨てたり、そのほか、届けないで処分したりする気を起こさない人は、決して「一時解雇」を受けないし、賃金の値上げを求めてストをする必要もない。
文明はそのような人々を捜し求める長い課程である。そのような人の願いは何でも聞き入れられるだろう。
そのような人はどこの都市でも、町でも、村でも、必要とされるだろう。どこの事務所でも、店でも、工場でも。世界中がそのような人々を呼び求めている。
「ガルシアへの書簡を届けられる」人物は、非常に必要とされているのである。

ページの先頭へ戻る